快晴のその日まで

気持ちが晴れるまでの日記

無理にでも"きっかけ"として扱った

反省と決意を固めた日なのでここに記録を残す。

 

5年以上聞いているオードリーのANN、そのラジオイベントが今日開催された。

俺はコロナ感染を理由に泣く泣く会場参加を断念してライブ配信を見た。

 

陽性判定を受けたのは3日前のことだった。

1年も前から楽しみにしていたイベントだったし奇跡的にチケットも最初の最速先行で当選していた。最終的な応募数をあとから知って本当に運が良かったと喜んでいた。

 

オードリーのANNはあのクソみたいな受験時期の俺を本当によく支えてくれた。報われない、前に進まない時間を過ごす中で、若林さんが話してくれる世の中に対しての不満を聞いて、若林さんとラジオの存在をお守りに毎週予備校に通っていた。

ダサい表現でいうところの俺のバイブル。

 

医者から陽性判定を受けた直後は症状がそこまで長引かないと思っていたし、日帰りでイベント行ってやろうかなと目論んでいたけど1日寝ても2日寝ても熱は下がらず併発していた頭痛もだいぶ辛かったので時間が経つにつれてイベントに行けないことを覚悟していった。

 

そもそも自宅待機期間に遊びに行くなんて、そんな命の回転のやつ、きっと若林さんが許さないだろうけど。

 

待ち望んだイベントに参加できなかったのも、その時は"人生においてこういったことは何度かある"と寛大な心のフリをして受け入れようとしたけど、当然めちゃくちゃ悔しかったし、日程に対する自分への緊張感が全然足りなかった。

1年待ち望んだイベントでも、たった1日の感染で予定がダメになった。

演者は凄いなと思った。

 

チケット発券後に陽性反応を受けたのでリセールは出来なかった。お金はどうでもよかったけど、俺の都合でドームの席が一つ空席になるのがすごく申し訳なかった。

 

2日前の夜にラジオ番組宛にコロナ感染で空席をつくってしまう旨をメールした。番組のチームの方々に本当に申し訳ない気持ちになっていたから自分なりの謝罪の精神もあった。

 

若林さんと青銅さんとの対談動画でイベントに対して"たかがラジオ"という表現を使っていたのが本当に謙虚でよかった。俺にとってはポジティブに捉えられたので、参加を諦める後押しの理由の一つになってくれた。

 

そしてもう一つ、俺が背中に大きく背負ってるそれも"たかがラジオ"なんだからそれを生き甲斐みたいに扱ってあんまり人生振り回されるなよ。

 

若林さんが今日のイベントのエンディングで言ってたように"心のお守り"くらいのクローズ加減で向き合ってくれ。

 

 

 

家では陽性判定を受けた日から自室で隔離生活となった。

 

お母さんが本当によく世話をしてくれる。お母さんはいつも優しくて申し訳ない気持ちになる。

 

イベントに行くのを断念したのも身体が本当に辛かったというのもあるが、後半はこれ以上お母さんに心配させる要素を増やしたくなかったからだ。

 

お母さんを一番大切にしなきゃいけない。まだ自立したところも見せられてないし、恩返しも出来ていないから。当然長生きして欲しい。

 

具合があまりにも快方に向かわなくて昨晩ベッドで泣いた。本当にこのまま良くならないんじゃないか、誰にも感謝を伝えられず、恩も返せず死んだらどうしようかと不安になった。

 

病気の時は思考がネガティブになるからしょうがないけど、やっぱりこの機会を"きっかけ"にするべきだなと思った。

 

気抜いてると人はすぐ死んじゃうんだよな。

 

だからダラダラ生きる時間なんかはなくて遊んでる暇なんかもないんだよ。

 

もう34歳の歳だから本当に相手を見つけることに専念した方がいい。

 

お母さんを安心させたい。